山に放したクワガタと息子の気持ち。
先日山に放したクワガタのクワちゃん。
クワちゃんにとってはきっと良かったと思っているのですが、実は少し後悔しています。。。
クワちゃんとお別れしたあの週末、息子は自主学習ノートという、テーマは何でもいいので自分で取り組みましょうという週末に出る宿題に、クワガタのことを書いていました。
クワガタの餌はどんな物か、オスメスの区別について、お世話で自分がやっていた事、そしてクワちゃんの絵を描いていました。
最後に、「ふりかえり」記入欄には、
「クワガタを山ににがすのはとてもかなしかったです。」
と書いてありました。
私はそれを見てなんだかネガティブだなぁと思い、息子の文章力の問題だと思って、ちょっと言葉足らずだから「かなしかったけど元気でいてくれるとうれしいです。」とかにしたら?と提案しました。
息子は渋々書き加えていました。
でも、言葉足らずだったのではなく、息子の気持ちは「かなしかった」のです。
クワちゃんのためには山の方がいいと息子も理解して、山に返すことを決めてくれたのですが、やっぱり息子は大事に育てていたクワちゃんを手放すのはかなしかったのです。
放した数日後、クワちゃんの話になった時
「あんなかなしいことになるんやったら最初からうちにクワちゃんけーへんかったらよかった…」
とつぶやいていました。
そして昨夜寝る時、息子が「今日学校でな、クワちゃんのこと思い出して泣きそうになってん。」
と言いました。
話を聞くと、国語で「山小屋の暮らし」という勉強をした時に、虫採りをすると言う場面があって、クワちゃんも誰かに捕まえられてるのではないかと心配になったそうです。
「でもな、ちょっと安心したこともあってん…」
と息子。
理科でカブトムシが山で木の蜜を吸っている映像を見たとか。
クワちゃんもきっと木の蜜を吸って生き延びているだろうと安心したそうです。
私はクワちゃんを山に放して、あーよかったね、くらいにしか思ってなくて、それはクワちゃんにとってのよかっただったのですが、息子の気持ちは無視してしまっていました。
息子が決めたとはいえ、私が死ぬまで世話するのか山に放すのかという二択を迫ったから決めただけで、もともと息子にとって思いもよらなかった結末だったのです…。
ごめん。と思いました。
クワちゃんはきっと、「ありがとう!!」って思ってるよ。
今頃ケースの中では見れなかったお月さま見ながら空飛んだり、仲間と出会ったりして、もしかしたらお父さんになってるかもしれへんよ。
と、伝えると、
「はぁー…」と胸を撫でおろして
「…ちょっと気持ち楽になった。」
と言ってくれました。
そして、また来年あの山にクワちゃんの子どもたちいないか見に行こうなって約束しました。
息子に悲しい思いをさせるつもりなんてまったくなかったのですが、そんな気持ちにさせていると知って、あんなに虫がだめだった息子が初めて大事に育てた虫だから、今回は最後まで育てさせてあげればよかったかな、と少し後悔しています。
クワちゃん、そんな息子の気持ちを汲んで長生きしてお父さんになっててくれるとうれしいです。