きたかぜとたいよう✱kodomo to ouchi✱

むずかしいお年頃の娘といつまでも幼い5つ下の息子。そして夫と私と小鳥との日々!

免許返納を見据えて、父が車を手放しました。

昨日、父(75歳)が愛車を手放しました。


父にとって何台めの愛車だったのかな…。

父と車は切っても切れない関係で、車のない父の生活なんて、私は今まで想像ができませんでした。
若い頃から車で、色々なところへ行っていた父。
日本中は大げさですが、西日本はほとんど車で行き尽くしたのではないでしょうか。

昔の話を聞いていると、父は車で暮らしていたのかなと感じるほど(笑)

だから、死ぬまで車も免許も手放さないと思っていたので、今回の父の決断は驚きでした。
さびしい気持ちもありますが、心配事が1つ減って安堵の気持ちもとても大きかったです。


私も小さい頃から父の車と運転にはお世話になってきました。

大人になってからもそうでした。
ブラックな保育園(笑)に就職して、過酷な労働と持ち帰ってやらなければならない書類の山&製作で、ほとんど寝れないまま翌日出勤する日は、父が車で職場まで送ってくれました。
少しでも私の睡眠を確保するために…。

一人暮らししていた時は、不摂生な生活からかよく体調を崩し、もう無理〜という電話一本で迎えに来てくれて実家へ連れて帰ってくれました。


結婚して子どもが生まれてからは、孫を喜ばせようと奈良へ鹿を見につれてくれたり、川へ連れてくれたり…。

息子がスイミングの途中で突然高熱を出して、雨の中自転車で帰らないと行けなくなった時も、すぐに車で飛んできてくれたなー。

1番最近では、ユニバの年パスを持っていて私と子どもたちで行きまくっていた昨年。
子連れで荷物も多かったので、行きか帰りのどちらかは父が車で送迎してくれることが多かったです。


ずっと現役!と思いたかったのですが、あんなに上手で安心だった父の運転に少しずつ不安を感じるようになったのはもう10年くらい前の頃からだと思います。

急ブレーキ急発進が増え、ちょっとした見落としなどでヒヤっとすることも。
駐車も切り返しが増えて昔のように一発で入らなくなりました。
道にも詳しくて、昔はどこへ行っても迷わない、知らない地でも方角や感でなんとかなっていたのに、ナビ頼りになったり道に迷うことも時々出てきました。

父の運転の衰えを感じ始めた頃は、父が歳をとったことを実感させられて少し悲しいようなさびしいような気持ちになったのを覚えています。

最近は、とにかく無理はしない、遠くへは行かない、不要不急の運転はしないことと、母にはできるだけ隣で目を光らせてもらうように伝えていました。

母も安心して乗れなくなった父の車に同乗するのは疲れることだったと思います。

でも、時々二人で郊外へドライブへ行った時などはリフレッシュして帰って来て、楽しい夫婦の時間を今でも過ごしていました。


そんな父から車や免許を手放せなんて、家族の誰もがこの先も言えなかったと思います。


そして、父が自分で決断してくれました。


とりあえずは、車検を期に車を手放す。

次の免許の更新時に、免許返納について改めて考えるけれど、もう車を持つことはない。



その決断に母も私も、遠くで暮らす兄も拍手を送りました。


お父さんありがとう。

そして、お疲れさま。


腰の悪い父は、そう歩けないのでこれから電車で出掛けるような事はないと思いますが、自転車は乗れます。
今まで母と父で自転車1台しか持っていなかったので、父の決断に感謝を込めて自転車をプレゼントしました。


父と母が二人で車でよく行っていた回転寿司くらいなら、自転車でこれからも行けるといいなぁ。


父の運転に今までお世話になった分、これからは私が父のドライバーになっていろいろなところへ連れて行ってあげたいなぁと思います。