夏バテを長引かせて母がうつに。
あまり身体が丈夫でない私の母は、夏の暑さが苦手でした。
年々それはひどくなり、昨年の夏は毎日点滴に通ってなんとか健康をギリギリ維持していた感じ。
それでも秋になって、少し涼しくなるとだんだん元気を取り戻して、やっぱり暑さのせいだったんだな〜と胸を撫でおろしていました。
今年の夏は昨年よりも暑さが厳しく、やはりすぐにまた点滴通いが始まりました。
涼しくなればまた元気になってくれる…
そう軽く考えていました。
もともと思い悩みやすい性格の母なので、何か病気ではないか、こんなにしんどいのは初めて、検査をしても何も異常がないならこのしんどさは一体なんなの?と、会う度に言っていました。
今思うとこの頃から始まっていたのだと思います。
でも私は暑さがやわらげば元気になると思っていたので、いつも軽く受け流していたと思います。
そして、くよくよしてても仕方ないよ!みたいな安易な励ましの言葉を何度も掛けていたと思います。
でも、涼しくなっても良くならない母の体調。。。
母の不安は増すばかりで、私や子どもたちとの約束も、当日になって「ごめんね、しんどいからやめとくわ…」ということが増えました。
そのうちずっと訴えていたふらつき、動悸、倦怠感が強まって不安で眠れない不眠症状も出始めました。
そしてある日の早朝、母からの電話。
救急車の中からでした。
明け方動悸がひどく、心臓が止まりそうだった。
このまま家で息を引き取ってしまえば家族に迷惑がかかるから病院へ行っておかなければ、と思い自分で救急車を呼んで運ばれたのです。
父がそばにいますが、足が悪く付き添うこともできないので、一人救急車に乗って私に連絡をくれたのでした。
私は子どもたちを学校へ送り出す準備を済ませるとすぐに病院へ駆けつけました。
母はまた、ガリガリにやせ細った腕に針の刺し損じでたくさん青アザを作り点滴を付けて横になっていました。
血液検査、心電図とも異常なし。
異常なしが今の母と私には辛い告知でした。
この不調は一体何…?
私も必死でこれまでの母の不調、原因がわからず思い悩んでいた事などを話すと、看護師さんがテキパキと点滴を外しながら、一度心療内科とか行ってみてもいいかもね〜と。
それもまったく頭にない訳ではありませんでした。
でも、もしどこかに身体的な病気があって、そのための不調から不安定な気持ちになっているのなら、病気を治す治療を優先したい!と思っていたので、心療内科はまだ次のステップだと思っていました。
その日ゆっくり母と過ごして話をし、心療内科ではないけれど、評判がよく信頼できそうなクリニックを翌日受診することに。
私は仕事で付き添えなかったので、クリニックの先生宛にお手紙を書きました。
母のこの夏中の不調のこと、救急車を呼ぶにまで至ったこと、そして、うつの症状にとても当てはまるということなどなど。
封をして渡したので母は内容を知りませんが、自分でうまく説明できる自信がなかったからか、ありがとう、と喜んで持って行ってくれました。
そして、クリニック受診の日。
仕事後に実家を訪ねると、久しぶりに穏やかな母の顔と少し明るいトーンの声がありました。
母が安心できるように徹底的にできるだけの検査をして下さったそうです。
心電図も、24時間やりましょうと、胸にメーターを付けたままでした。
それから、どうしても眠れない時はこれを飲んだらいいよ、悪い薬ではないからね、と安定剤も処方してくださっていました。
母の安心した顔を見て本当にほっとしました。
それから1週間。
やっぱり気持ちには波があり、元気そうな日もあればまた体調悪く落ち込んでいる日もあり、まだまだ回復に向かっているとは言えませんが、時間をかけてでも、もとの母に戻ってもらえるようにサポートしたいです。
私まで母の気持ちの波に疲れてしまわないように、私は私のペースを守りつつ。
勉強すべきことがたくさんありそうなので、少しずつ母の病気と向き合いながら、です。
今年の冬はこたつ期間縮小❢が目標。
秋めいてきたかと思うと、台風のせいもあってか急に冷え込んできましたね。 もうそろそろと思いながらまだ取り掛かっていなかったのですが、昨夜思い立って今年もリビングの冬支度に取り掛かりました。
2年前の冬支度。
昨年の冬支度。
昨日はとりあえずリビングとダイニングテーブル下まで毎年恒例のタイルカーペット敷き詰め作戦を実行し、昨年購入した特大ホットカーペットも出してすっかり床は冬使用に。
今朝起きてきて、床がひんやりしないことが幸せでした。
毎年みんなが楽しみにしているこたつですが、今年はこたつ期間を短縮しようと思っています。
本当に心地良くて幸せを味わえるこたつ。昨年の冬、私はどれだけこたつに時間とやる気を奪われてしまったことか…(;´д`)
私だけではありません。
娘も息子ももちろん夫もこたつで寝転んでテレビを見るのが当たり前になっていて、これではいけない!と何度思ったことか…。
でもそこにこたつがあるのに誘惑に負けるのは当然。
私が誰よりも負けていましたから(^_^;)
だから、今年はできるだけギリギリまでこたつを出すのは我慢!
片付けも早めにするつもりです!
(出さない!という決断は家族に猛反対されてできませんでした(^_^;))
せっかく昨年買った特大ホットカーペットを最大限活用して、「床が暖かいから動ける」我が家にしたいです。
今年の冬の冷え込みは昨年より厳しそうなので少し自信はありませんが。。。
ぎっくり腰以来2週に一度通っているリハビリで教えてもらった広背筋のストレッチで背中をポカポカさせて冬に負けない身体で乗り越える!!!
予定です。
山に放したクワガタと息子の気持ち。
先日山に放したクワガタのクワちゃん。
クワちゃんにとってはきっと良かったと思っているのですが、実は少し後悔しています。。。
クワちゃんとお別れしたあの週末、息子は自主学習ノートという、テーマは何でもいいので自分で取り組みましょうという週末に出る宿題に、クワガタのことを書いていました。
クワガタの餌はどんな物か、オスメスの区別について、お世話で自分がやっていた事、そしてクワちゃんの絵を描いていました。
最後に、「ふりかえり」記入欄には、
「クワガタを山ににがすのはとてもかなしかったです。」
と書いてありました。
私はそれを見てなんだかネガティブだなぁと思い、息子の文章力の問題だと思って、ちょっと言葉足らずだから「かなしかったけど元気でいてくれるとうれしいです。」とかにしたら?と提案しました。
息子は渋々書き加えていました。
でも、言葉足らずだったのではなく、息子の気持ちは「かなしかった」のです。
クワちゃんのためには山の方がいいと息子も理解して、山に返すことを決めてくれたのですが、やっぱり息子は大事に育てていたクワちゃんを手放すのはかなしかったのです。
放した数日後、クワちゃんの話になった時
「あんなかなしいことになるんやったら最初からうちにクワちゃんけーへんかったらよかった…」
とつぶやいていました。
そして昨夜寝る時、息子が「今日学校でな、クワちゃんのこと思い出して泣きそうになってん。」
と言いました。
話を聞くと、国語で「山小屋の暮らし」という勉強をした時に、虫採りをすると言う場面があって、クワちゃんも誰かに捕まえられてるのではないかと心配になったそうです。
「でもな、ちょっと安心したこともあってん…」
と息子。
理科でカブトムシが山で木の蜜を吸っている映像を見たとか。
クワちゃんもきっと木の蜜を吸って生き延びているだろうと安心したそうです。
私はクワちゃんを山に放して、あーよかったね、くらいにしか思ってなくて、それはクワちゃんにとってのよかっただったのですが、息子の気持ちは無視してしまっていました。
息子が決めたとはいえ、私が死ぬまで世話するのか山に放すのかという二択を迫ったから決めただけで、もともと息子にとって思いもよらなかった結末だったのです…。
ごめん。と思いました。
クワちゃんはきっと、「ありがとう!!」って思ってるよ。
今頃ケースの中では見れなかったお月さま見ながら空飛んだり、仲間と出会ったりして、もしかしたらお父さんになってるかもしれへんよ。
と、伝えると、
「はぁー…」と胸を撫でおろして
「…ちょっと気持ち楽になった。」
と言ってくれました。
そして、また来年あの山にクワちゃんの子どもたちいないか見に行こうなって約束しました。
息子に悲しい思いをさせるつもりなんてまったくなかったのですが、そんな気持ちにさせていると知って、あんなに虫がだめだった息子が初めて大事に育てた虫だから、今回は最後まで育てさせてあげればよかったかな、と少し後悔しています。
クワちゃん、そんな息子の気持ちを汲んで長生きしてお父さんになっててくれるとうれしいです。
クワちゃんをリリース。
この夏の間、息子が大切にお世話していたクワガタのクワちゃん。
今まで、どちらかと言うと虫が苦手で、数年前に虫網も虫かごも買ってみたものの活躍することなく、私の断捨離の対象になりかけては持ち堪えている状態でした。
私も虫は苦手なので、虫に興味のない息子でいいと思っていました。
そんな息子がクワガタを育てることになったのは、夫が職場の人の家の網戸にとまっていたというクワガタが入った瓶を、リュックに入れて持って帰って来たから!
夏のはじめの事でした。
私もまーったく虫のことはわからないので、とりあえずネットで調べて、ホームセンターに飼育ケースと専用の土とゼリー、転倒防止用に入れると言う木を買って準備。
我が家に来たクワガタを最初こそ恐る恐る見ていた息子でしたが、ゼリーを食べている姿や、土にもぐっている姿、転倒してもがいてる姿などを見ているうちに可愛くなってきたようで、毎日ケースをのぞいては声をかけたり、霧吹きしたり様子を見ていました。
私もそんな息子の姿とクワちゃんにも愛情が湧いてきて、ちょっといい土を買ってみたり、食べ物について調べたり。
でもほんとに虫に関して知識のない私はクワちゃんはどうやって冬を越すのかな?冬眠??とか思って夫に何気なく聞くと、
「いや、もうそのうち死ぬわ」って。
えー!そうなん!?
信じられずにスマホで調べたけど、
ほんまや…3〜4ヶ月の寿命て書いてる…(;_;)
うちに来たのが7月のはじめ頃だったかな…?
そしたらもう3ヶ月。
クワちゃんもう長くない(TT)
それからクワちゃんの人生を考えました。
生駒の山で生まれたのに、こんな狭いケースの中で一生を終えると思うとなんだかかわいそうに思えて…。
息子と話しをしました。
クワちゃんは、もうそんなに長くは生きられないこと。
クワちゃんが死ぬまでお世話してあげてお別れするのがいいのか、最後は山に返してあげたいのか。
息子はしばらくクワちゃんのケースの前で考えていましたが、山へ返すことを選びました。
それで、クワちゃんの元気が少しなくなって来た気もするので早いほうがいいと思い、今日お別れしてきました!
山の上の静かなところへ。
行きの車で、息子がしょんぼりするのでもう一度確認しましたが山へ返す気持ちは固い。
どんな木に返すのがいいのかわかりませんでしたが、大きくて幹から蜜の溢れている木があったのでそこへとまらせてバイバイしました。
飛び方や蜜の吸い方を忘れているかもしれないと息子が心配するので、ゼリーもそばに1つ置いておきました。
お友達が来るかもね、と。
なかなか木から離れられず、明日もここに見に来たいと言っていました(^^)
クワちゃん、第2の人生山でゆっくり過ごして長生きしてねー!
夏の思い出をありがとう!
文鳥の仲裁役が現れました☆
前々から顔を合わせると威嚇し合って仲がよろしくない文鳥ハルとむぎちゃん。
すぐケンカしてしまうのでツーショットの写真もありあません(T_T)
ケンカと言ってもまだまだ小さいむぎちゃんに勝ち目はなく、すぐ引き離さないとむぎちゃんのくちばしはキズだらけになってしまいます。
それでも挑発するむぎちゃん…(・・;
そんな2人の仲を最近少し取り持ってくれているのがこの方です。
息子がマクドナルドのハッピーセットでゲットしたプテラノドンのまもるくん(息子が命名(^^))
ちょうど小鳥たちと良く似たサイズ感なので、一緒に遊ぶかな?と3羽の仲間に入れると、、、
最初はみんな警戒気味。
特に警戒心の強いハルは、まったく近づこうとしません。
警戒心より好奇心のむぎちゃんは、そのうちまもるくんをツンツン。
ふうちゃんは見て見ぬふりです。
性格の違いが出ます(^^)
ハルが、むぎちゃんに攻撃しようとした時にさり気なくむぎちゃんのそばにまもるくんを置くと、ハルは攻撃をやめてくれます。
ハルを怖がらせるつもりはないのであくまでもさり気なくそっと置くだけです^_^
まもるくんのおかげで、平和な?3羽の時間が我が家に訪れるようになりました。
ツーショットも初めて撮れました♡
なんだかぎこちないハルの表情…>.<
ずっとまもるくんが一緒だとハルが楽しめない!と、娘が途中でまもる氏を退場させていました。
ふうちゃんはハルともむぎちゃんとも仲良くできるので、普段はハル&ふう、むぎ&ふうの2羽ずつのペアで遊ばせるようにしています。
3羽で仲良く遊んでくれる日は来るのかな…?
休日の小鳥さんたち。
今日は中2の娘はお友達とランチ。
ランチしてプリ撮ってレモネードコースでしょう。
ずっと自粛していたので久しぶりです。
息子はいつも通り朝から公園。
お昼ごはんとお茶の補充以外には帰ってきません(^.^;
なので、私ものんびりな休日です。
我が家の小鳥さんたちは、
朝から夫にかごをきれいに洗ってもらっていました✨
その間は、いつもワゴンに縦並びの文鳥マンションが横並びに。
並ぶと3羽くっついていました。
マンションに戻ってからの様子を見てみると、一人遊びが上手なハルは、一人でいろいろ遊びます。
温度計をガジガジ、ユラユラ
その音を不安げに聞いている下の階のむぎちゃん
今度はブランコをガジガジ、ユラユラ
(揺らすだけで乗りません)
その音を不安げに聞いている下の階のむぎちゃんふうちゃん
野菜ホルダーをガジガジ
・・・
敷いてある新聞紙をめくりあげておうち作り
ハルは、ずっと一羽飼いだったので本当に一人遊びが上手で見ていて感心します。
下の2人は、だいたい行動を共にしていて、時々じゃれ合ったりけんかしたりはしますが、それぞれが好きに遊んでいる姿はほとんど見かけません。
かごから出してやるとうれしそうに遊ぶのですが
たまに片方だけ出して遊ぼうとしても、お互い不安そうに呼び合っています。
我が家の環境でこれから下の二人も変わってくるのかな…?
3羽がどんなふうに一緒に育っていくのかますます楽しみです♪
クワガタのクワちゃんは、私はほぼノータッチですが、昨夜ふとのぞくとエサのゼリーにツノを突っ込んでじっとしていました(^.^;
みんな長生きしてね〜。
免許返納を見据えて、父が車を手放しました。
昨日、父(75歳)が愛車を手放しました。
父にとって何台めの愛車だったのかな…。
父と車は切っても切れない関係で、車のない父の生活なんて、私は今まで想像ができませんでした。
若い頃から車で、色々なところへ行っていた父。
日本中は大げさですが、西日本はほとんど車で行き尽くしたのではないでしょうか。
昔の話を聞いていると、父は車で暮らしていたのかなと感じるほど(笑)
だから、死ぬまで車も免許も手放さないと思っていたので、今回の父の決断は驚きでした。
さびしい気持ちもありますが、心配事が1つ減って安堵の気持ちもとても大きかったです。
私も小さい頃から父の車と運転にはお世話になってきました。
大人になってからもそうでした。
ブラックな保育園(笑)に就職して、過酷な労働と持ち帰ってやらなければならない書類の山&製作で、ほとんど寝れないまま翌日出勤する日は、父が車で職場まで送ってくれました。
少しでも私の睡眠を確保するために…。
一人暮らししていた時は、不摂生な生活からかよく体調を崩し、もう無理〜という電話一本で迎えに来てくれて実家へ連れて帰ってくれました。
結婚して子どもが生まれてからは、孫を喜ばせようと奈良へ鹿を見につれてくれたり、川へ連れてくれたり…。
息子がスイミングの途中で突然高熱を出して、雨の中自転車で帰らないと行けなくなった時も、すぐに車で飛んできてくれたなー。
1番最近では、ユニバの年パスを持っていて私と子どもたちで行きまくっていた昨年。
子連れで荷物も多かったので、行きか帰りのどちらかは父が車で送迎してくれることが多かったです。
ずっと現役!と思いたかったのですが、あんなに上手で安心だった父の運転に少しずつ不安を感じるようになったのはもう10年くらい前の頃からだと思います。
急ブレーキ急発進が増え、ちょっとした見落としなどでヒヤっとすることも。
駐車も切り返しが増えて昔のように一発で入らなくなりました。
道にも詳しくて、昔はどこへ行っても迷わない、知らない地でも方角や感でなんとかなっていたのに、ナビ頼りになったり道に迷うことも時々出てきました。
父の運転の衰えを感じ始めた頃は、父が歳をとったことを実感させられて少し悲しいようなさびしいような気持ちになったのを覚えています。
最近は、とにかく無理はしない、遠くへは行かない、不要不急の運転はしないことと、母にはできるだけ隣で目を光らせてもらうように伝えていました。
母も安心して乗れなくなった父の車に同乗するのは疲れることだったと思います。
でも、時々二人で郊外へドライブへ行った時などはリフレッシュして帰って来て、楽しい夫婦の時間を今でも過ごしていました。
そんな父から車や免許を手放せなんて、家族の誰もがこの先も言えなかったと思います。
そして、父が自分で決断してくれました。
とりあえずは、車検を期に車を手放す。
次の免許の更新時に、免許返納について改めて考えるけれど、もう車を持つことはない。
その決断に母も私も、遠くで暮らす兄も拍手を送りました。
お父さんありがとう。
そして、お疲れさま。
腰の悪い父は、そう歩けないのでこれから電車で出掛けるような事はないと思いますが、自転車は乗れます。
今まで母と父で自転車1台しか持っていなかったので、父の決断に感謝を込めて自転車をプレゼントしました。
父と母が二人で車でよく行っていた回転寿司くらいなら、自転車でこれからも行けるといいなぁ。
父の運転に今までお世話になった分、これからは私が父のドライバーになっていろいろなところへ連れて行ってあげたいなぁと思います。